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中国語の中の日本語 (前半)
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日時 : 2010/09/17 23:15
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- 名前 : 張◆GQP10890Qs2
- 中国語が成り立って以来長い年月の間に、大規模に外来語を取り入れる時期が2度ほどありました。一度目は唐の時代の仏教が盛んな頃に仏教用語がたくさん入った時期と、2度目は清王朝の末期と中華民国の前期において、多くの「和製漢語」が入った時期です。
今から110年ほど前の清王朝の末期に、日本は明治維新を経て、国力をどんどん上げ、一躍列強の仲間入りをし、西洋の新しい観念や言葉を日本語にするため、当時の知識人たちは古典などを参考に「推敲」して、新しい意味を吹き込み、いろいろな「和製漢語」を作りました。例えば「経済」という言葉は、古代中国語では「経世済民」、つまり民衆と世間をまとめるという意味でしたが、日本では「経済」を英文の「economy」を当て嵌めました。また「社会」という言葉は古代中国語では「集会結社」の意味だったのですが、日本では「society」を当て嵌めました。また「労働」という言葉は昔「労駕」の意味で、人に手数をかけるとき、人に頼むときに使う言葉で、明の時代と清の時代の小説の中にもよく出てきた言葉ですが、日本はそれを英文「labor」の翻訳として使い始め、後に中国もその訳を採用しました。
当時の中国の学者もいろいろ翻訳し始めましたが、たとえば哲学を一時「智学」、電話は「徳律風」と訳しましたが、日本製の新名詞が渡ってきて、当時の中国人にとってはとても新鮮で親切な感じを覚えおぼえ、すぐに流行語となりました。
清王朝末期の改革派大臣である張之洞でさえ、地方から届いた公文書の中にあまりの「日本新詞」があって、眉をひそめ、公文書の下に「新名詞を軽々しく使うな」と注意を書き添えましたが、その秘書はイギリス留学経験者で、失笑してその下に「名詞」も日本人が作った「新名詞」だと書き加えました。
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